■ 共感出来る程度のカースト下層生活
数少ない西尾維新ファンのリアル友人から、退職の際にもらったのがこの「俺の青春ラブコメはまちがっている」の1巻でした。その前から「このライトノベルがすごい! 2014」の作品部門1位ということで気になってはいたのですが。
この小説を語るにあたって、個人的には“面白い”か“面白くない”か? ではなく“好き”か“嫌い”かで語るべき小説だと思うんです。ストーリー展開的に次が気になって仕方が無いようなものではなく、いわゆる日常系の延長でありこの「世界観」が好きになれるかです。もちろん自分は1巻をもらって、その後10.5巻まで買い漁って読むほどに気に入ったわけです。
それにしても何故にここまで人気が出たのでしょうか?と思います。主人公はいわゆる「ぼっち」。友達がいない。しかしながら、それは最底辺でもなく、決して最悪なものではないのです。この小説の中に現れる「葉山隼人」という人物。容姿・頭脳・運動・性格・家柄、いわゆる全てにおいて完璧なパーフェクト超人。どこかの出来杉君と同じように、このような人物は主人公と対比される上で描かれることも多くあります。しかしその対比である主人公はのび太のようなダメダメ超人ではなく、容姿もまぁまぁ、頭脳も教科によっては学年3位、中流家庭で運動も決して音痴ではない、決してスペックは悪くないけど、ただ「友達がいない」。ここが共感ポイントなんだと思います。
この小説にも語られる、男子学生のカースト制度。これは間違い無く存在すると言えます。しかし、頂点はハッキリと見えていても、裾野はわりとぼやけているものです。この裾野で暮らす者たちは、「TOPグループには属せない」と自覚をしておきながら、「そんなに下でもない、本来のスペックは良いはず」と思いたいのです。そこに共感ポイントがあるんです。
■ 戯言使い
そんな同じ下層の八幡君が活躍するんだから楽しくないわけがない。それも決して目に見える大活躍なんかではなくて、あくまで「ぼっち」を貫いていながら、彼なりの方法でカースト頂点と対等に渡り合って行く様は読んでいて気持ちいい。そして「人に必要とされる」という憧れの称号を得て行くのです。
そして、自分がやはり好きになってしまうのは、そんな彼の武器。それは「言葉」です。そう、結局のところ「戯言使い」なのです。
■ 千葉愛にだけはついていけない
1巻から読み始めて、どこまで計画的なのかわからないけれど、途中に数冊「暗い」雰囲気の部分があります。実際の高校生活などに於いても、確かにそういう時代というか人間関係、仲の良かった友人とぎくしゃくする時があるんです。しかしながら小説で丸々数冊そんな雰囲気を醸し出してくるのも随分と勇気があるなと思ってしまいますが、正直その部分は読んでいて楽しくなかった・・・辛かった。辛くても読むのをヤメようと思う事はなかったけれど。そんな問題も解決して今10.5巻、もうそんなに長くはないのでしょうけど、これからも続巻が出るのをMAXコーヒーを飲みながら、楽しく待っています。 |